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今日の日記 | イオマンテ カムイノミ イクパスイ イナウ(ウィキペディアより) | 歴史の背景など | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。[1] 言葉としてはi「それを」+oman「行く」+te「何々させる(使役動詞語尾)」という意味[要出典]。「それ」とは恐れ多いカムイの名を直接呼ぶ事を避けた婉曲表現であり、[要出典]従ってイオマンテとは「カムイを行かせる」儀式の意である。また、語頭のiとoの間に渡り音のyが挿入されてiyomante=イヨマンテという発音になることも多い[要出典]。 単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウのイオマンテを重視する。またシャチを対象とするイオマンテもある。 飼育したヒグマを対象とする儀式はイオマンテ、狩猟によって捕殺した野生のヒグマを対象とする儀式はカムイ・ホプニレ (kamuy hopunire) と呼んで区別することがある。「ホプニレ」とはho「尻」+puni「何々を持ち上げる」+re「使役動詞語尾」で「(カムイを)発たせる」の意味。狩猟で殺した直後の獣のカムイは、魂 (ramat) の形で両耳の間に留まっているという。そこでカムイ・ホプニレの儀式では祭壇を設えてヒグマの頭部を祀り、酒食やイナウを捧げてそのカムイに神々の世界に帰ってもらうのである。 概要冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行う。冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが(その際前述のカムイ・ホプニレを行う)、小熊は集落に連れ帰って育てる。最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移すが、やはり上等の食事を与える。1年か2年ほど育てた後に[注釈 1]、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでヒグマを屠殺し、解体してその肉を人々にふるまう。 式場には祭場を使う。祭壇はエムㇱ(宝刀)、弓矢、鎧、シントコなどで飾り、クルミや団子、近代ではミカンを備え、熊に酒を注ぎ与える。花矢で熊を射て「遊ばせ」、最終的に丸太で熊の首を挟むことでクマの肉体と魂を分離する。その折に一人のアイヌが天に向かって一矢を放ち、全員が一斉に叫ぶ。[3]
宗教的には、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを一定期間大切にもてなした後、見送りの宴を行って神々の世界にお帰り頂くものと解釈している[4]。ヒグマを屠殺して得られた肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産であり、皆でありがたく頂くというわけである。地上で大切にされた熊のカムイは、天界に帰った後も再度肉と毛皮を土産に携え、人間界を訪れる。さらに人間界の素晴らしさを伝え聞いたほかの神々も、肉や毛皮とともに人間界を訪れる。こうして村は豊猟に恵まれるのである。熊の再訪を願うために、人間からの土産としてイナウやトノト(濁酒)、シト(団子)を大量に捧げる。イオマンテの宴で語るユーカラは、佳境に入ったところでわざと中断する。神が続きを聞きたがり、再訪することを狙うのである。 類似の熊送り儀礼は、樺太周辺のニヴフなど、ユーラシア・タイガの北極圏に近い内陸狩猟民族に広く存在している。イオマンテもその一種である。 北海道におけるイオマンテの儀式は1955年に北海道知事名による通達によって「野蛮な儀式」として事実上禁止となった。2007年4月、通達を撤回している[5]。 儀式の進行
イオマンテの起源
その起源については諸説あり、アイヌ文化期に先行する擦文文化期の遺構からは熊に関連する祭祀の痕跡が見当たらないことから、イオマンテはオホーツク文化(担い手はニヴフといわれる)からトビニタイ文化を経由してアイヌ文化が取り込んだとの見方がある。詳細はトビニタイ文化を参照のこと。 このほか、縄文時代のイノシシ祭りの対象動物がクマに置換されたとする説もある。日本におけるイノシシ利用史も参照。 「山の神・年神・屋敷神・田の神・稲の神・祖霊神」概念との類似[編集]日本神道における、「山の神・年神・屋敷神・田の神・稲の神・祖霊神」などの概念とイオマンテの概念との間には、類似性がみられる。[要出典] これらの概念を説明すると、 「山の神・年神・田の神・屋敷神・稲の神・祖霊神」は同一の存在の「豊穣神」であり、[要出典]季節ごとにその名と姿と居場所を変える。まず、山の神が、冬の新年(新春)になると、年神となって、山から麓の村(=地上=人界)に降りて来て(年神を屋敷に迎え入れる行事が「正月」=冬祭り)、屋敷神となって屋敷と一族を守り、春になると、田に出て、田の神となり、田植え(=予祝祭や水口祭や田植祭などの春祭り)が行われ、夏の間、田の神=稲の神は、稲を見守り育て(お盆=夏祭り)、秋になると、田の神=稲の神は豊かな実りを齎し、神霊(稲霊)の宿る稲が収穫され、収穫祭(=秋祭り)が行われ、人は田の神=稲の神に収穫物を捧げて、神とともに収穫を祝い、田の神を屋敷に迎え入れて、風呂やご馳走でもてなして労をねぎらい、神を山(=辺境+高い場所=異界=天=神の国=死者の国)に送り出し、神は山に帰っていき、山の神となる。 以後も、この1年の循環(サイクル)を、毎年繰り返す。 また一族の者が亡くなると、その者の霊は、祖霊となり、村を見守る近くの山に行って、山の神となり、村と一族の守護神となり、上記の循環(サイクル)を経て、村や屋敷に帰ってくる。」 祭祀の対象が、植物である「稲」=「(上記)~の神」か、動物である「熊」=「熊のカムイ(神)」か、の違い(これは農耕民と狩猟採集民の生活基盤の違いともいえる)はあるが、どちらも豊穣(豊猟)儀礼であり、「神(カムイ)の霊(体ごと)を迎え、神(カムイ)の霊の宿った稲(体)が育ち、神(カムイ)の稲(体)を収穫(屠殺)し、再来を期待して、神(カムイ)の霊を、祭りを行い、収穫物(稲穂/稲生(イノウ)=イナウ)を捧げて(土産に持たせて)、もてなした後、山(神々の世界)に送り出す」というサイクルなど、同じ構造を有している。[独自研究?] また、イオマンテにおいて重要なことは、儀式に使う子熊は「母熊が必ず死んでいなければ(殺されなければ)ならない」ということである。稲において「母熊」に相当する物は「種籾」である。「子熊」に相当する物は「芽」である。一粒の種はそのままでは一粒のままであるが、一粒の種が地に落ちて死ぬ(=発芽する)ことで、将来、多くの実を結ぶのである(母熊殺し=播種)。種を播くことなしに芽が出ることはなく実りを得ることもないのである。儀礼とは象徴(シンボル)を操作することにより望む結果を招来しようとする一種の呪術なのである。異なる点は、稲であればその年の内に結実するが、子熊は増えないので、来年以降の豊猟という形となる。つまり今年の収獲は、昨年以前の儀式の結果ということになる。[独自研究?] イナウについては、日本神道における御幣の古い形である「削り花」との形状の類似性が見られる。[誰?]イナウは、形状のみならず、名称からしても、「稲の穂を模した物」と考えるのが妥当であろう。稲の穂は「穀霊=穀物神=豊穣神」の宿る依り代にして、「穀霊=穀物神=豊穣神」の象徴でもある。この「穀霊=穀物神=豊穣神」には、世界的に見ても、男性神と女性神の両方のパターンがある。また、「穀霊=穀物神=豊穣神」は、両者が対となった存在、両者を兼ね備えた両性具有存在、であるとも考えられる(例:宇賀神)。[独自研究?]故に、「穀霊=穀物神=豊穣神」を表現するのに、男性と女性の両方の象徴を用意すればよい。故に、イナウには男性と女性の性別があるのである。[独自研究?] また、貨幣経済以前の社会において、穀物とは富であり権力資源である。人間の世界(アイヌモシリ)の投影である神々の世界(カムイモシリ)においても、イナウ=稲の穂=富=権力資源が、支配者の投影である神々に喜ばれるのは当然のことであろう。[誰?] もちろん、子熊自体が稲に相当するので、原理的にはイナウは必要ないのだが、こうした儀礼において、同じ役割を果たす異なる象徴が重複しても問題はない。人間心理としては、豊穣や幸福を実現する縁起物は、種類と量が多くあればあるほど良いのである。そして、稲作を行わない狩猟採集民族であるはずのアイヌの豊穣儀礼に、イナウを必要とするところに、イオマンテ儀礼の原型・起源が透けて見えるのである。[誰?] 映像作品
影響昭和24年(1949年)、古関裕而作曲、菊田一夫作詞による歌謡曲『イヨマンテの夜』がヒットし、広く知られるようになった。だが、歌詞、旋律ともにアイヌのイオマンテとはかけ離れている。歌詞の中では、夜間にかがり火を焚いて儀礼を執り行うものになっているが、実際の送り儀礼は日中行う部分が多く、夜間にもかがり火は焚かない。また前奏に銅鑼の音のような効果音が入り、歌詞にはアフリカの太鼓であるタムタムのような擬音が登場しているが、アイヌ音楽に銅鑼や掌で打つ太鼓は存在せず、歌の伴奏は手拍子のみである。そもそも「イオマンテの夜」の旋律はアイヌの伝統音楽と関係のない歌謡曲調のものである。 また、毎年10月中旬から11月末にかけ、「イオマンテの火まつり」という行事を阿寒湖温泉にて開催しているが、内容はアイヌ音楽や舞踊を中心にした演出であり、本来のイオマンテとは別物である。 漫画「がきデカ」でも、主人公のこまわり君がギャグとして披露するシーンがある。 カムイノミとは、「神に祈る」という意味で、アイヌが、神格であるカムイを天界に帰す儀式である。 例えば、狩りの獲物に対して、肉と毛皮を土産に持って人間界へ来てくれたカムイに感謝し、神の国へ送り帰す。熊送りの儀式「イヨマンテ」などもカムイノミの一種である。 イクパスイ (ikupasuy) は、アイヌ民族が儀式で使用する木製の祭具。カムイ(神)・先祖に酒などの供物をささげる際、人間とカムイの仲立ちをする役割を果たすものとされた。 本項では、イクパスイの一種に当たるキケウㇱパスイ (kikeuspasuy) についても述べる。 名称について名称は ikuが「酒を飲む」、pasuyが「箸」の意である[1][2]。 日本語では「(カムイに)酒を捧(ささげる)箸」として、捧酒箸と訳される[3]。 かつてはひげべら(髭箆)、ひげあげべらと訳されることがあったが、これは左手で杯を、右手でイクパスイをそれぞれ持って酒を飲む際、酒の中に髭が入らないように押さえる役割を果たしていたと誤解されたためであり[3]、例えば1939年(昭和14年)発行の『駅名の起源』では本文中のイクパスイの挿絵について、以下のような解説がなされている[4]。 文化における位置づけイナウ(inaw:木幣)と同様にラマッ(ramat:魂)を帯び、人々の願いをカムイに伝える使者という位置づけがなされている[2][5]。 使用カムイノミ(神事)やシンヌラッパ(先祖供養)など、酒を用いる祈りには欠かせず、このほか個人的な祈りに際しても用いられた[2][5]。 用いる際には、その先端を酒に浸して酒の滴を火やイナウに振りかけ、神や先祖に捧げて祈祷する[3]。人間の言葉は直接カムイに届かないとされているが[3]、イクパスイを介することで人間の言葉は(たとえ不足や誤りがあったとしても)カムイに正確に届けられる[3]。また、捧げた1滴の酒はカムイモシㇼ(kamuy-mosir:神々の世界)に1樽にもなって届き、カムイたちも同様に酒を酌み交わすとされた[2]。 特徴外見約30センチメートルほどの木の棒を平らに削って作る。通常は表面に彫刻した飾りがほどこされ、一端は尖っている。 尖端の裏側には通常、パルンぺ(parunpe:舌)と呼ばれる矢尻のような形が刻まれる[5]。これがないイクパスイは、カムイに対して言葉を伝えられない(喋ることができない)と考えられている[3]。 このほか、裏面にはアイシロシ(持ち主をあらわす印)、表面にはイトゥクパ(父系の祖印をあらわす家紋)が刻まれる。特に父系のイトゥクパが刻まれたものは家に1つしかなく、狩猟の旅に出る時は必ず身につけることになっていた[6]。 装飾・文様イクパスイの装飾としては彫刻や漆のほか、金属プレート・リボンなどの材料を使用する場合もある。イタリアの人類学者であるフォスコ・マライーニはこれらの装飾を
の4種に分類し、1から4へ順を追って抽象化されたと考えた[7]。 材質材質には、イタヤカエデ、ノリウツギ、イチイ、マユミ、カツラ、ハンノキ、ミズナラなど、比較的加工しやすい材が用いられる。通常はまっすぐな木を割って作るが、湾曲した木やねじれた木、股木など、自然木をそのまま利用して作られたものもある。 キケウㇱパスイイクパスイの一種であると同時に、イナウの一種でもある。kikeが「削りかけ」、usが「~がつく」、pasuyが「箸」の意で、日本語では削り掛けつき捧酒箸と訳される。 主にヤナギやミズキなどの白木で作られ、一部の地域を除いて文様を施すことはない。上面1 - 4か所に削りかけがあり、数や形は家系によって異なる。 大祭に際してとくに重要な祈りに用いられ、イナウと同様に儀式が終わると火にくべたり祭壇に納めて火のカムイへの供物としたため、原則として儀式のたびに新しく作られている[2][8]が、一部の地域では複数回使用されたこともある[2]。 イナウイナウ(inaw, inau)はアイヌの祭具のひとつ。カムイや先祖と人間の間を取り持つもの(贈り物・メッセンジャー・神霊の依り代)とされる。強いて言えば神道における御幣に相当するが、それよりも供物としての性格が強い。 特徴イナウの形状は御幣に酷似しているが、一本の木の棒からすべて削り出している点が御幣との違いである。イナウの用途は、神への供物である。アイヌの人々はカムイに祈り、願う際にイナウを捧げる。それによって人間側の意図するところがカムイに伝わり、カムイの側も力や徳を増すと考えられていた。また、新しくカムイを作る際、その衣や刀や槍などの材料とするといった用途もあった。 イナウはカムイ・モシリ (kamuy mosir 神の世界)には存在しないものとされる。このような細かい工芸品は手先の器用な人間のみが作成可能で、カムイは人間から捧げられる以外、入手方法が無いのである[1]。 イナウの多様性は、カムイの多様性を表している。カムイによっては定まった樹種を好む。 典型的なイナウは、直径数センチ程度の樹木を素材とし、表面を薄く削り出した房状の「キケ」を持っている。キケは大別して長短2種があり、形や削り方でさらに細分できる。 イナウには性別があり、キケを撚る(男)か散らす(女)か、根(男)と梢(女)のどちらに向かって削るか、軸の上端を水平(男)に切るか斜め(女)に切るか、など、形によって表される。 北海道では、捧げる相手と異なる性別のイナウを捧げる方が良いとされる[2]。 作り方イナウの材料は自然木である。材料となる木をイナウネニとよび、通常はスス(ヤナギ)が使われたが、ウトゥカンニ(ミズキ)やシケレペニ(キハダ)で作られたものが上等品とされていた。木肌が白いミズキのイナウは天界で銀に、木肌が黄色いキハダのイナウは金に変ると信じられていたからである。イナウ作りはアイヌの男の大切な仕事のひとつとされ、重要な祭礼などを控えた日には祭礼の行われる場所に泊りがけで集い、イナウを作成したという。特にイオマンテ(熊送り)やチセノミ(新築祝い)など重要な儀式には大量のイナウが必要となるため、準備期間のかなりの時間がイナウ削りに費やされた。 イナウをつくるには、直径が3cmほどの素性が良いヤナギやミズキの枝を採集し、大体70cmほどの長さに切る。そしてきれいに皮を剥ぎ、木肌をあらわにして乾燥させる。乾燥させるのは、木肌を薄く削る作業を容易にするためである。充分に原料の枝が乾燥したら、先に木片を刺した小刀を使い、木の端の方向に薄く削る。削る作業の繰り返しで、あたかも枝の先に木片の房が下がる形にするのである(完成)。イナウの種類によって造り方も異なるが、乾燥させた素材を小刀で削り、木片を下げさせる工程は変わりがない。 イナウを作成する際にでた削り屑や余った材などはそのまま捨てたりせず、集めて火にくべて燃やし、カムイの世界に送る。[3] 削った際に出た破片一つ一つもすべてカムイになると考えられているためである。 種類神の衣や刀にするイナウキケ、イヨマンテ(クマ送り)やチセノミ(新築祝い)に使用する、20個ほどのイナウを束にしたシロマイナウ、非常に簡単に作れる略式のチェホロカケプイナウなどがある。 |
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